スポーツ観戦で感動できない人(私)
オリンピックもいよいよということで、たまに脳裏に浮かぶ疑問を書きます。
スポーツ観戦で感動する人の割合?
私は昔からスポーツ観戦で感動したことはありません。
ただ、感動する人もいるので、それぞれの比率がどれくらいなのかなと常々疑問に思っています。
なぜ感動しないのか
なぜ感動しないかというと、逆になぜ感動するのかを聞きたいです。
赤の他人が一生懸命頑張っていてもそこまで感動しないと同じで、逆境を乗り超えてきたスポーツマンがスポーツをしているところを見ても、「頑張っているな、自分も頑張るか」くらいにしか思えません。
これを感動というなら感動なのでしょうが。希望とかはもらえません。
身近な人が何かを一生懸命やっていれば影響を受けることはあると思います。
しかし、それはスポーツに限りません。
学校、会社、ボランティア、なんでもいいのです。
なぜスポーツだけがこんなにもてはやされるのでしょうか。
お金?
日本のメディアはスポーツで感動するのはあたりまえ!オリンピックが始まったら日本人は夜中まで応援するのが当たり前!のような風潮で宣伝してます。
でも海外の人からすると、そのような日本人は異常にみえるそうです。
莫大なお金が動くし、おそらく利益になるから当たり前だと思うのですが、本当に心から感動している人ってどれくらいいるのでしょうか。
よく被災地に対してスポーツ選手が「人々に勇気と希望を与えたい」と言っていますが、ここでいう勇気と希望って何なのかなとよく思います。
これまで稼いだお金を被災地に納めることを指すなら納得です。とてつもない希望でしょう。
でも、「自分がスポーツしている姿を見てもらって勇気と希望を」と言われても、それどころじゃない気がします。
自分が被災地の人間だったら「そんなことと一緒にするな!」と怒るレベルです。
単に「自分がこれまで稼いだお金を送ります。復旧に役立ててください」とかなら、ものすごく尊敬します。
メディアが「勇気」「希望」みたいな言葉を羅列するから、よく考えていないスポーツ選手がそういう言葉を使ってしまうんだろうなって思います。
良し悪しではない
別に感動するのが悪いと言っているわけではなく、それは人それぞれだと思います。
ただ、実際のところどうなのかなと思います。
最近のコメント